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★★★★ 参拝日:2022年1月8日 00:00
参拝日:2021年2月13日 12:00
創建由緒は由来の項の通り、それ以上の情報は持ち合わせていません。境内の二本の巨樹「夫婦楠」について。県の指定文化財、北側の「雌楠」は幹回り9m、南側の「雄楠」は幹回り10m。巨樹が同方向に寄り添うように流れる様は圧巻。「雌楠」の幹元には大きな瘤があり、触れると…というのは残念でならないものの、これほどの愚行を繰り返されても衰えないのは、これぞ真の御神木といったところでしょうか。昭和の中頃には、腐った大楠の幹の空洞に火が入り3日間燃え続けたが、大楠は無事だったとも。
★★★★ 参拝日:2019年8月10日 07:30
思ったより、街中のご鎮座。 鳥居参道は南側。駐車場は境内東側です。 境内は広々とした感じで、とても綺麗に保たれていて心地よいお詣りでした。 朝早いお詣りでしたので、宮司様はご不在でしたが、氏子様?がいらしてたので御朱印いただけるかお伺いしました。 懸命に探して下さり、日付けの少し前の書き置きを見つけて下さったので、いただくことにしました。ありがとうございました。 オリジナル御朱印帳ありました。(初穂料¥1,500-・初回朱印料込み)
★★★★ 参拝日:2024年10月26日 23:25
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 三重県尾鷲市北浦町 12-5 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス | JR紀勢本線尾鷲 徒歩8分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://owasejinja.net/ |
御祭神 | 建速須佐之男命 櫛御氣野命 彌都波能賣神 大山祇神 天之忍穂耳命 猿田彦神 天之菩卑命 応神天皇 天津日子根命 若狭姫命 熊野久須比命 菅原道真 活津日子根命 火之迦具土命 多岐理毘賣命 大物主神 市寸嶋比売命 国之常立尊 多岐津比賣命 宇迦之御魂神 級長戸邊神 事代主神 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 当神社の 創祀は、宝永(1707)と安政(1854)の大地震による津波で神社の記録・古文書等すっかり流出しており詳にし難い。 現存する記録では、宮座に伝わる見聞闋疑けつぎ集等から主祭神である武速須佐之男命(素戔鳴尊)が鎮座するこの地に、当時の本地垂迹説の考え方で藥師如来と同体であると金剛寺(旧薬王山光林寺)が1597年に再興され、尾鷲七郷の総鎮守、氏神様として崇め祀られていたが、寬文年中(1661~72)時に宮座、同住職、七郷村役等の相談の上、氏神神社確立と拡充を図って、大楠の後ろに建っていた二階建ての御社を現在のところに新しく建て移動、又、境内を整備し寺役(今の檀家)から神主を選んだと伝わっている。 ところが 、社伝には古老の口碑伝承として、大宝年間(701~703)に播磨国・広峯社より武速須佐之男命(素戔鳴尊)を勧請したと伝えられており、ここが創祀としているが、播磨国・広峯社が733年の創祀と伝えられているため史学上は難しいと考えられてきた。しかし、近年の調査で播磨鏡(1762~地方誌)に「崇神天皇の御代に広峯山に神籬を建て、素戔鳴尊、五十猛命を奉斎し…」とあり、3~4世紀に広峯山に神々が鎮座した史実、尾鷲神社の例祭に用いる 巻藁まきわらが尾鷲七郷の氏人旧家120軒をもとにしている事から既に鎌倉時代には例祭が執り行われている点(旧家120軒は、鎌倉時代である~「おわせの浦村」参照)、更に二階建ての御社の前の御神木の樹齢が一千年以上である事などと、様々な事象や歴史が明かになってきている。 よって現在は、社伝の古老の口碑伝承である大宝年間(701~703)に広峯社より勧請したのが創祀と考える方が有力である。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | ヤーヤー祭り |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2025/02/22 17:01:09 |