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★★★ 参拝日:2025年2月23日 00:00
本堂左手の千姫のお墓には、遺言に従い遺骨の一部が納められています。
★★★ 参拝日:2024年5月12日 00:00
参拝日:2024年4月11日 11:16
参拝日:2023年9月26日 17:04
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 茨城県常総市豊岡町甲1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス | 関東鉄道常総線中妻 徒歩17分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0297240895 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.gugyoji.jp/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土宗 |
創建・建立 | 応永21年(1414年) |
由来 | 弘経寺は、正式名称を『寿亀山天樹院弘経寺』と称し、応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建された。 室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄え、多くの学僧を世に送った有力寺院であった。ところが天正5年(1577年)壇越常陸下妻城主多賀谷氏と小田原北條氏の合戦に巻き込まれ、多賀谷氏が弘経寺に陣を張ったために、戦火で堂宇を焼かれたが、第九世壇誉存把上人は下妻に逃れ、後に結城秀康の帰依を得て結城に弘経寺を再建した。 そのため弘経寺は寺院活動の停止を余儀なくされたが、第十世照誉了学上人の代に寺院再興の時期を迎える。上人は、徳川三代(家康・秀忠・家光)から帰依、厚遇され、特に家康公の孫にあたる千姫は上人に帰依し、弘経寺を菩提所と定め、再建に多大な寄進をした。そのため、江戸時代には紫衣壇林として十八壇林の中でも上位に置かれる寺院になった。 惜しくも千姫の御殿を移築した壮麗な大方丈は明治39年(1906年)に灰燼に帰するが、天樹院殿御廟(千姫の墓所)や遺品、そしてゆかりの品々は、往時の風格を現代に伝えている。 |
神社・お寺情報 | 関東十八檀林 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2020/09/27 20:33:13 |