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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県羽生市須影1568 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武伊勢崎線南羽生 徒歩13分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-561-3543 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
誉田別命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
埼玉郡須影村
八幡社 村ノ鎭守ナリ 慶安二年八月二十四日社領十九石五斗餘ヲ賜フ
別當蓮華寺 新義眞言宗京都智積院末月光山淸淨院ト號ス 開山長義寬永七年九月廿一日示寂 本尊ハ不動ナリ 諏訪社 愛宕社 阿彌陀堂 八幡ノ本地佛ナリ 鐘樓 寬永三年正月鑄造ノ鐘ナリ
境内掲示板
指定文化財
須影八幡社彫刻
(彫刻 羽生市指定第26号 昭和44年3月20 日)
この八幡神社は、『新編武蔵風土記稿』に「村の鎮守なり、慶安二年八月二十四日、社領十九石五斗余を賜う、」と記されており、別当(寺院が神社を管理していたこともある)として蓮華寺の名前も見えます。その最後の住職であった潮元が、安政四年(1857年)から慶応元年(1865年)まで現在の本殿と拝殿を造営したものです。
本殿の壁面には西、北、東の3面に彫刻が2つずつ残されています。西側は「七福神」、北側は「神巧皇后縁起」、東側は「大蛇退治」と「八幡宮地形つき」を主題としています。「地形つき」は、本殿の建設工事の様子を表したもので、写実的に精巧に作られており、そこに出ている人は、本人に非常によく似ていたといわれ ています。
棟札によりますと、拝殿は安政五年(1858年)に再造され、棟梁として当所の清水仙松や三村若狭正利の名前が見えます。三村家は市内本川俣で代々宮大工を世襲しており、市内常木の雷電神社や板倉町の雷電神社の造営に携わるなど著名です。彫工のなかには、市内下岩瀬の入江文治郎茂弘の名前も記されています。
おのおのの彫刻の大きさは、縦1メートル、横2.1メートルです。
’平成17年3月20日
羽生市教育委員会
境内碑
潮元帥碑誌
潮元帥初稱恵祥後改本名姓大貫氏武之須影邑
人也師年甫十二就邑之蓮花寺主潮音者受戒○
天保五年継法統為住職同九年退隠後嘉永四年
因衆推薦再襲前職明治元年以頽○○○同四年
九月二十日病寂距○寛政十一年享寿七十○四
前後在職廿有三年○葬法嗣先○之○師自幼好
学老而不捲以法務餘○教授道○子○資性教厚
倹而不貧嘗捐私財募有志以修○堂宇之頽壊又
改築八幡社殿或賑恤邑民貧困者其他美事善行
蓋不尠○今茲当其十七回○○於是故旧門第等
追懐徳誼弗措遂協議醸費以建碑○○呼○○賦
重歛厚民人衣食奔走其不逞当○秋而有斯○乃
以其徳與望可想見也頃日邑人持状来諸誌之予
不○何敢当其仕然亦景仰師之徳望併感喜有志
之慈善者也因弗辞而為之誌
明治二十年歳次丁亥嘉平月
北埼玉郡長正八位大野三郎篆額
行田 楊洲古○寛撰文
北川原古鼎小林惟精書 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/06/16 05:05:25
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