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★★★★ 参拝日:2018年10月28日 00:00
神幸祭 です。 しかし、どちらのお祭りもそうですが神輿のかつぎてや山車を引いている方の外国人率が高いですね。
★★★★★ 参拝日:2018年4月18日 00:00
★★★★ 参拝日:2021年2月21日 11:41
社伝では、 「第二十六代継体天皇の五辛卯年に尾張国山田郡片山郷(現在の社地)に鎮座したという。元亀、天正の頃(1570-1591)続く戦国時代の禍をうけ頽廃し、祭事の鄭重を守って、一時熱田神宮に預けられた」 とあり、小牧長久手の戦いで記録が全て消失したという。 「尾張国地名考」(1816年)の瀧川弘美の説では、 「(式内社の片山神社は)大曽根八幡(いまの片山八幡)の社が是なり、社司は慶徳氏といい、この宮地は往昔の山田郡片山天神(祭神は大伴武日命)で元は大曽根村の産土神である。元禄年中に瑞龍公(尾張藩二代藩主・光友)がある時、この社は何の神と尋ねたが里の人は誰も知らないという。そこで、吉見氏(名古屋東照宮の神官)に尋ねたら八幡だというので、造営して大曽根屋敷の守護神とした。村人は光友が八幡社を造営してしまったので、恐れ多いとして元々、そこにあった天道宮を産土神として(別に)祀ることにした。その後、杉村の蔵王社が片山神社と名乗って式内社と言い始めたのは情けないことだ」 瀧川弘美は杉村の蔵王権現と張り合って適当な社を片山神社と言ったわけではあるまい。 金鱗九十九之塵(1830~1840年頃)には、大曽根村は元は片山村と呼ばれていたとある。地形が山に近いのは、どちらかといえば片山八幡の方だ。 また、尾張国地名考」(1816年)で津田正生は、 「大曽根八幡宮鎮座の年月詳ならず。国君瑞龍公 元禄八年初月本社を造替え。御正体は江戸高田の穴八幡を模し給ふ。山田即齋という者を江戸に下し穴八幡の神楽拍子を習い取しめ、神主・慶徳源之丞直規に教えさせ給ひし。瀧川氏蔵王の神主が片山の名を奪いしと心得て常に不快に思われて、強いて大曽根の片山にせられし」 とし、瑞龍公が勧請してきたのは江戸高田の穴八幡だと書いている。これは「尾張名所図会」(1844年)でも同様な記述が見えるが、海邦名勝志(1832年)では「男山八幡を勧請す」とある。男山八幡は京都の石清水八幡宮の旧称だ。 尾張藩主・光友が再建したのであれば、尾張藩の江戸下屋敷の近くにあった穴八幡の方が馴染みがあるだろう。京都の石清水八幡を勧請してきたとは思えない。 光友が再建したのは、光友が1693年に隠居する際、隠居場所として選んだ下屋敷(今の徳川園)が大曽根にあり、すぐ近くに大曽根八幡があったためだ。 瑞龍公が再建したという話は「愛知県神社名鑑」など他の書でも多く見られる。 肝心なのは、元々は荒廃して村人さえ誰が祭られているか知らないとなっていたところだ。 その誰が祭られていたか分からない神社を吉見氏(たぶん吉見恒幸)に尋ねたら「八幡」と応えたという。なぜ八幡と分かったのか。 吉見氏は名古屋東照宮の家柄であり、尾張十社家の筆頭である。何の根拠もなく「八幡」とは答えまい。 恐らく、吉見は八幡につながる何かを見つけたのだろう。八幡に変わる前、元々この地には「天道宮」が祭られていたという。名古屋には天道宮や天道社と呼ばれる神社がいくつかあるが、天道という単語からか、天照を祭る神社が多い。天照を祭るなら神明社だ。天道社に天照を祭るというのは後世で出来た慣習ではないか。 妄想すれば、天道は天袍のことであろう。 同じ春日郡の別小江神社の伝承に、神功皇后が三韓征伐の折、鎮懐石を腹に巻いて出産を遅らせたという伝説があり、その鎮懐石を探してきたのが尾張国造稲植(イネタネ)で、彼は出産後も神功皇后とその子、後の応神天皇のお世話をしたので、帰国の際に神胞を頂いたという。その神胞を安井の千本杉に祀ったというものだ。 安井というのは庄内川沿いにある村のことだが、たびたび氾濫を起こしていた庄内川の河岸に千本杉があったとは思えない。名古屋市内で「杉」の多い地というのは片山神社と片山八幡のある「杉村」しかない。 恐らく、杉村(当時は安井の地)の千本杉と呼ばれた地に神胞を祭ったのであろう。当時の杉村から大曽根の地形は今の清水あたりの入り海が干潟となって盛り上がった地になっていたはずなので、「潟山」になっていたから「潟山神社」もしくは「天胞社」と呼ばれたのだろう。祭神は神胞を祭っていた応神天皇。 その後、欽明天皇32年(571年)、宇佐八幡に応神天皇が八幡神として降臨したという伝説から、応神天皇を祭る社は「八幡」と呼ばれるようになる。 妄想すれば、「潟山神社」もしくは「天胞社」は「八幡」と名を変えたかもしれない。そしていつしか廃れ、1693年、吉見恒幸は「天道社」となっていたその社に応神天皇の痕跡を認めたのであろう。ゆえに「八幡」と答えたのではないか。 妄想すれば、片山八幡が式内社・片山神社であり、今の別小江神社の伝承に残る応神天応の神袍を祭った神社なのではないか。
参拝日:2020年7月12日 14:30
御神輿があった。お祭りで使うのかな。 賽銭箱の上にあった小瓶は何だろう('_'?)
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住所 | 愛知県名古屋市東区徳川2-13-26 |
五畿八道 令制国 |
東海道 尾張 |
アクセス | 名鉄瀬戸線森下 徒歩2分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://katayamahachiman.web.fc2.com/ |
御祭神 | 誉田別尊(応神天皇)
天照皇大神 菊理媛神 |
創建・建立 | 継体天皇5年(511) |
旧社格 | 県社(昭和4年) |
由来 | 当社は第26代継体天皇の5年、尾張国山田郡片山郷、即ち現在の地に鎮座したと云う。
元亀天正の頃続く戦国時代の災禍を受けて甚だしく頽廃したが、尾張家第2代光友公の深き御敬神の念によりて、社殿復興とともに徳川源家の氏神と思召され、名古屋市中鬼門除けのお社として崇められ篤く信仰される。 昭和4年、県社に昇格し大改築が成されたが戦災により境内の老樹を始め建造物の悉くを焼失し昭和34年、本殿以下現在の殿宇を造営、更には昭和49年に社務所を建設して大体の復興を見る。 平成5年、神社本庁モデル神社指定社を受け、平成8年「平成の大改修工事」を行い平成10年に完工。 更に、平成23年には御鎮座1500年の年にあたり、神楽殿、手水舎の銅板の葺き替えや本殿の一部を増幅する大改修工事を行って現在に至る。 (片山八幡神社しおり より) |
神社・お寺情報 | 名古屋市中の北東に当たるということで鬼門除けの神社として、尾張徳川藩によって大事に保護されていた。 |
例祭日 | 1月1日 元旦祭 2月3日 節分祭 2月11日 厄除祭 3月1日 祈年祭 6月30日 茅輪神事 7月20日 赤丸神事 10月4週目 土曜日 前日祭 日曜日 例大祭 神幸祭 11月23日 新嘗祭 2月23日 天長祭 12月30日 大祓 |
神紋・寺紋 | |
更新情報 | 【
最終
更新者】冬はつとめて 【 最終 更新日時】2024/09/09 20:33:19 |