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★★★★★ 参拝日:2017年11月25日 00:00
★★★★ 参拝日:2018年5月6日 00:00
★ 参拝日:2025年3月1日 11:14
参拝日:2025年1月18日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県日高市新堀990-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR八高線高麗川 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 042-989-3425 |
FAX番号 | 042-989-3425 |
公式サイトURL | http://shoudenin.jp/ |
御本尊 | 【本尊】
不動明王(ふどうみょうおう) (胎内仏弘法大師御作) 【配祀】 大日如来(だいにちにょらい) 釈迦如来(しゃかにょらい) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) 愛染明王(あいぜんみょうおう) 観音・勢至菩薩(かんのん・せいしぼさつ) 【別壇配祀】 若光守護仏聖天尊(歓喜天) (じゃっこうしゅごぶつしょうでんそん) 【札所本尊】(武蔵野三十三観音霊場) 聖観音(しょうかんのん) |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建・建立 | 天平勝宝3年(西暦751年) |
由来 | 【拝観券-記載】聖天院縁起
聖天院は奈良時代に高句麗より渡来した高麗王若光の菩提寺として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751年)に創建されました。 若光の守護仏聖天尊を本尊とし爾来600年間法相宗の道場でありましたが、貞和年間(1345年)中興秀海上人の代に真言宗に改宗されました。 天正年間(1584年)円真上人により不動尊(胎内仏弘法大師御作)を本尊とし聖天尊を別壇に配祀し、現在に至っています。 江戸時代には高麗郡の本寺として、門末54箇寺を擁するほどの隆盛を誇り「院主の格式は諸侯に準ずる」とも記録されています。 平成12年(2000年)裏山山腹に7年の歳月を費やした総欅造りの新本堂が落成し、西方山腹には在日韓民族無縁仏慰霊塔が在日有志の厚志により完成しました。 また、旧本堂跡地には、中門、塀の建立・阿弥陀堂(足利時代)移設・庭園の拡張等の整備がなされ、平成年間に山容が一変しました。 新編武藏風土記稿 高麗郡新堀村 聖天院 高麗山勝樂寺ト號ス 新義眞言宗山城國醍醐松橋無量壽院末ナリ 天正十九年寺領十五石ノ御朱印ヲ賜フ 當寺古ハ大寺ナリシトイヘト寬永年間回祿ノ災ニカヽリテ什寶古籍コトコトク烏有トナリテ草創ノ事實年代等總テシルヘキモノナシ 但シ今寺寶トスル文應二年ノ鐘銘ニ當寺號ヲ載タレハ古キ起立ナルコトシルヘシ 中興開山僧秀海示寂ノ年月詳ナラス 此僧ノ時ヨリ無量壽院ノ末トナリ今ニ至テ四十一世相承スト云 本尊不動ヲ安ス コノ腹內ニ安スル不動ハ立像ニシテ長二寸五分弘法大師ノ作ナリト云 門末スヘテ五十四ヶ寺アリ 古ハ寺地今ノ門前畑ノアタリニアリシヲ寬永ノ頃今ノ地ニ移セシヨシ 本堂ノ內ニ高麗山ト云扁額ヲカケリ 寺寶 不動畫像一幅 土佐庄二郞昌光筆 金胎兩部曼荼羅二幅 古鐘一口 徑一尺五寸三分 火災ニ罹リシ故破裂セリ 款文ノ銘アリ其文ハ左ノコトシ 武州高麗勝樂寺 奉鑄鐘長二尺七寸 諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅爲樂 文應二年歲時辛酉三月日 大檀那比丘尼信阿彌陀佛 平 定澄朝臣 大工 物部季重 鰐口一口 徑七寸八分 當寺ニ傳ヘシ其故ヲ詳ニセス 銘文左ノコトシ 久伊豆御寶前鰐口願主衞門五郞 武州崎西郡鬼窪鄕佐那賀谷村 應仁二年十一月九日 大工 澁江滿五郞 本堂 方丈 庫裡 寶庫 棲門 長屋門 鐘樓堂 鐘ハ元祿中ノ鑄造ナリ 歡喜天一躯 高麗國ヨリ傳來スル所ト云 祕佛トス 本地十一面觀音ハ弘法大師ノ作ナリ 本堂ノ後ノ方ニ安置セリ 阿彌陀堂 彌陀ハ立像ニテ長二尺七寸ハカリ行基ノ作也 釋迦堂 佛經ヲ藏シテ置クユヘ 經堂トモ唱フ 高麗王塔 五輪ニシテ墓石ノ四面ニ佛像ヲ刻シタレト石面分明ナラス 總高サ六尺五寸 其石方面一尺六寸五分 此石塔ノ前ニ池アリ 濶サ十五步許 土人高麗殿ノ池ト云 又ソレヨリ少ク東ニヨリテ井アリ 徑六尺許 コレモ高麗殿ノ井ト稱セリ 古碑二基 惣門入口ノ左右ニアリ 右ハ正應二己丑六月日 左ハ寬元二甲辰十月日ト彫レリ 何人ノ碑ナルヤツマヒラカニセス 金蓮坊廢迹 往古聖天院ノ坊舍ナリシト云 同寺ノ前ナル畑中ニアリ 梅仙坊廢迹 是モ聖天院ノ坊舍ナリシト云 同寺ヨリ西ノ方ナリ 丘上ニアリ 此餘聖天院坊舍ノ名跡ハ 高岡村ノ小名ニモ見エタリ 境内掲示板 高麗山聖天院勝楽寺 所在地 日高市大字新堀 聖天院は、霊亀二年(七一六)国難を避け日本に渡来した高句麗人一七九九人の首長高 王若光、侍念僧勝楽、弟子聖雲を始めとする一族の菩提寺として奈良時代に創建された。僧勝楽により開基、聖雲と弘仁により落成され、本尊には王が守護仏と故国より将 来した聖天(歓喜天)を祀った。故に聖天院勝楽寺と稱する。 当山開基より約六百年後の貞和年間(一一四五)中興秀海上人は、法相宗を真言宗に改 めた。以来当山は、高麗郷一帯の本寺として末寺五十四ヶ寺を擁し寺門大いに興隆した。 開山以来実に千二百数十年、法灯連綿として絶えることなく現在に継承されている。 天正八年(一五八〇)第二十五世圓真上人は、本尊に不動明王を勧請し、聖天を別尊に配祀した。本尊不動明王(胎内仏弘法大師御作)、王守護仏聖天尊は共に霊験まことに あらたかで、多くの参拝者に深く信仰されており、境内には王霊廟(墓)、高麗殿の池、高麗殿の井戸などの史跡が現存し往時が偲ばれる 昭和五十七年三月 境内掲示板 聖天院の由来 続日本紀によれば、今から1,300年前高句麗滅亡によってわが国に渡来した高句麗人のうち甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国の高句麗人1,799人を716年(霊亀2年)に武蔵国に移し、高麗郡を置きました。現在の日高市は、高麗郡の中心をなした地域と考えられ、1,889年(明治29年)まで高麗郡でした。 高麗王若光は高麗郡の長として、広野を開き産業を興し民生を安定し大いに治績を治めました。 勝楽寺は若光が亡くなったあと、侍念僧勝楽が若光の菩提を祈る為に751年(天平勝宝3年)に建立しました。若光の三男聖雲と孫の弘仁が勝楽の遺志を継ぎ、若光の守護仏聖天像(歓喜天)を本尊としました。 その後開山以来の法相宗を真言宗に改め、1,580年(天正8年)には本尊を不動明王にしました。当代までに実に1,250年間絶えることなく継承されています。 2000年(平成12年)には、山腹に新本堂を建立し、同時期に在日韓民族無縁の慰霊塔を建立されました。 平成14年5月 日高市 |
神社・お寺情報 | 武蔵野三十三観音・第26番札所
高麗坂東観音霊場・第32番札所 重要文化財(国指定)梵鐘 文応2年銘(1261年) 埼玉県指定有形文化財聖天院応仁鰐口 境内碑 改修記念碑 聖天院雷門は天保年間 江戸浅草寺仁王門を模し六年の歳月を費やして建立された日高市指定文化財である 創建百八十年を機に 日高市からの補助金 檀信徒の信助を得 屋根替え 腐食部材の交換補強 風神雷神 七観音 十六羅漢像の修復等一大改修工事を行う 以て次代へ末永く継承されることを願うものである 平成二十五年一月四日 当山第五十一世 辨宥 日高市教育委員会 境内掲示板 銅鐘(国指定) 鎌倉時代に関東で活躍した鋳物師物部季重の手による梵鐘で、総高81.2cm、口径45cmをはかります。 銘文には文応2年(1261年)に、平定澄が高麗勝楽寺に寄進したことが記されています。 (銘文) 武州高麗勝楽寺 奉鋳鐘長二尺七寸 諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽 文應二年歳次辛酉三月日 大檀那比丘尼信阿弥陀佛 平定澄朝臣 大工物部季重 聖天院応仁鰐口(県指定) 鋳物師渋江満五郎の作で、直径は21.1cmをはかります。両肩には吊金具を懸けるための耳を持ち、銘文が表裏に彫られ、応仁2年(1468年)に奉納したことが記されています。 (銘文) 武刕埼西郡鬼窪郷佐那賀谷村 久伊豆御宝前鰐口願主衛門五郎 應仁二年戌子十一月九日 大工渋江満五郎 木造不動明王及び両脇侍像(市指定) 聖天院の本尊で、像内に納入されていた8件11点の銘札等には、天正8年(1580年)に鎌倉仏師の大蔵法眼によって造立し、寛永元年(1624年)に両脇侍像を新造させて三尊一具にしたことが記されていました。不動明王の腹内に弘法大師の作と伝わる二寸五分の不動立像が収められています。左側に矜羯羅童子、右側に制吒迦童子が配されています。 木造阿弥陀如来坐像(市指定) 檜材の寄木造りで、像高は89.6cmです。像容は穏和な中にも溌剌とした生気が認められ、若々しく張りのある円満な面貌が表現されています。像の特色や構造などから13世紀前半頃の造立と考えられています。阿弥陀堂改修と同じ江戸時代の宝永元年(1704年) に修理されています。 聖天院山門(市指定) 入母屋造りの総襷木造二層の楼門で、間口約8.8m、奥行き約5.5mです。高欄親柱擬宝珠に天保3年(1832年)の刻印があることから、江戸時代後半に建立されたと考えられています。山門に向かって右手に風神、左手に雷神が祀られています。 高麗王若光の墓(市指定) 高麗王若光の供養のため鎌倉時代に造立したと伝わる多層塔です。4段の屋根石からなりますが、塔最上部の相輪と各層の庇部が失われています。石質は凝灰岩で、高さは180cm。 聖天院阿弥陀堂(市指定) 堂内には禅宗様式の斗棋、虹梁、台輪などが見られ、室町風の格式が見られます。床は土間ではなく、板床が設けられている事が特色です。 木造観音・勢至菩薩両立像(市指定) 2軀の菩薩像は、頭上に丈の高い宝髻を結い、額のやや上に天冠台をつけています。格 調の高い、整った出来映えを見せ、穏やかな面貌が表現されています。鎌倉時代初期の 特徴が見られます。 聖天院元禄四年銅鐘(市指定) 元禄4年(1691年)に勝楽寺第三十三代法印賢海上人が、江戸神田の鋳工小沼播磨守藤原正永に造らせました。総高101.5cm、 口径77.5cmをはかります。 徳川将軍寺領寄進状(市指定) 天正19年(1592年)11月に徳川家康が交付した朱印状と2代将軍秀忠以降の将軍が交付した朱印状(これは継目安堵状という)11通の計12通が指定されています。寺領15石を寄進することと不入の権を認めることが書かれています。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2025/07/13 22:36:43 |