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基本情報
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住所 |
栃木県芳賀郡益子町大字小宅1369 |
五畿八道 令制国 |
東山道 下野 |
アクセス |
真岡鐵道多田羅 徒歩31分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
主祭神:譽田別命
配神 :息長足姫命・玉依姫神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
郷社 |
由来 |
境内掲示板
亀岡八幡宮
御祭神 誉田別命(応神天皇)
息長帯姫命(神功皇后)
玉依姫命
摂社 伊門神社
末社 皇大神宮 藤森稻荷神社
境外末社 古峯神社
由緒沿革
後冷泉天皇の康平年中(一○五八~六五) 源義家が勅命を奉じ奥州の安倍貞任等を征伐の途次芳賀郡古家郷(現小宅付近)の館に宿した。その地は旧跡御館山と称し現在の芦沼にあり時に石清水八幡宮を遙拝戦勝を祈願、その時芦橿沼上に大霊亀が現われ奇瑞を示したので、大いに喜び進み夷賊を討滅、凱旋の後社殿を創建し康平七年(一○六四)勅命を以って亀岡八幡宮と称したことに始まる。又、多数の神領を寄進したとつたえられる。その後源頼朝が藤原泰衡を征する時往年の吉祥を慕い、当社に武運長久祈願その効験霊徳あらたかにより、建久三年(一一九二)社殿改築更に建久八年 (一一九七)社殿を現今の小宅に遷座以来代々武門の崇敬するところとなった。慶長五年(一六○○) 徳川家康は数多の神領を寄進、それより後徳川将軍は累代崇敬、慶安二年(一六四九)将軍徳川家光より郷内の領地高十四石の朱印地と高七石の除地が寄進された。明治戊辰戦役の際は官軍が古例にならい百日百夜の戦勝祈願を行った。
当社は昔時芳賀・塩谷両郡の惣社として後冷泉天皇の勅願所であった。明治初年社格制定により郷社に列せられた。現在の本殿は明治十四年(一八八一)造営されたものである。戦後は神社本庁被包轄宗教法人、亀岡八幡宮となり御祭神のご神徳を慕う多くの参拝者の崇敬により今日に至る。
奉祝 敬宮愛子様御生誕記念
奉納 宇都宮市 大西宏栄 大西典子
平成十三年十二月吉日
皇大神宮
祭神 天照皇大御神
由緒
当社は伊勢の神宮を勧請した社で、ご祭神は皇室の御祖神であり、また日本民族の御祖神と仰ぐ天照皇大御神である。
古くより境内末社として祭祀が行われてきた。
現在の社殿は平成二十年五月、当社の崇敬者である茨城県笠間市在住の飯村茂氏より寄進された。
はるかにも仰がぬ日なしわが国の しづめど立てる伊勢の神垣
明治天皇御製
伊門神社
祭神 豊城入彦命
由緒
御祭神は上毛野君及び下毛野君の祖神と仰がれる第十代崇神天皇の第一皇子豊城入彦命である。
第十二代景行天皇の御代に子孫の御諸別王によって現在の小竹の地に建立されたと伝えられ、現社殿は明治初期小竹から当社境内に遷座したものである。 三代実録に「従五位下伊門神従五位上を授く」と見え地域的統一の中心となった神社であり、県内でも屈指の古社である。
例祭は十月二十九日、現在は九月八幡宮例祭にあわせ斎行している。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
9月15日 |
神紋・寺紋 |
右三つ巴
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更新情報 |
【
最終
更新者】夜叉神乱
【
最終
更新日時】2023/02/05 19:40:04
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