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基本情報
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住所 |
福岡県筑紫野市原田2550番地 |
五畿八道 令制国 |
西海道 筑前 |
アクセス |
JR鹿児島本線原田 徒歩4分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
092-926-5443 |
FAX番号 |
092-926-5443 |
公式サイトURL |
|
御祭神 |
【筑紫の神】 筑紫の国魂・筑紫の国号起源・氏神様
【坂上田村麿】 武家の神・必勝、戦いの神
【玉依姫命】 縁結び・子孫繁栄の神 |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
県社 |
由来 |
祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。 奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると 『筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた。その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった。』とされ、 奈良時代以前から当社は在ったと推測される。 筑紫の語源は、当社の神号から起こった。 筑紫の神が白日別神(シラヒワケノカミ)・五十猛命(イソタケルノミコト)という説もあるが断定はできていない。 後世に玉依姫命(竈門神社より勧請)、坂上田村磨を祭祀した。 当社は延喜式神名帳(927年)に名神大とあり、朝廷より尊崇されていた。 日本三大実録によると『貞観元年(859年)に筑紫神社従四位下を奉授され、元慶3年(879年)に筑紫神社従四位上を授く』とある。 類聚符宣抄に天元2年(979年)の官符に『住吉・香椎・筑紫・竈門・筥崎等の宮は大宮司を以て、その貫首となす』とある。 鎌倉時代から筑紫村の地頭職であった筑紫氏が社司を兼ねていた。 その後、享徳2年(1453年)社殿が造営された。 (それ以前にも社殿はあったと推測されるが、記録としては残っていない。) 筑紫氏は応仁・文明の頃より筑紫村去り勝尾城(鳥栖市)に移居し武威を振るっていたが、島津勢により落城した。 神領は没収、神宝や古文書類も兵火にかかり当社は荒廃した。 寛文2年(1662年)に荒廃した社殿を再建、延宝8年(1680年)火災で消失したが再興した。 古い石の鳥居は元禄12年(1699年)に建てられた。 拝殿の「筑紫宮」の額も同年に寄贈された。 現在の本殿は貝原益軒の愁訴により正徳2年(1712年) に黒田藩主から資材を賜り再建されたものだ。 明治維新の近代社格制度により、明治5年(1872年)に郷社に定められた。 明治44年(1911年)に上原田の若宮神社が飛地神幸所境内地として編入された。 大正4年(1916年)には県社に昇格した。 昭和9年(1934年)には拝殿が造営され、昭和63年(1988年)には筑紫神社幣殿を中心とした改築、五所神社、若宮神社の立て替え、金刀比羅社の改築が行われた。 |
神社・お寺情報 |
延喜式神名帳 筑前国 御笠郡 筑紫神社(名神大) |
例祭日 |
1/1~1/3 歳旦祭
3/15 粥占祭 (春季大祭)
7/19 およど (夏祭) ・ 夏越の祓
10/20 例祭 (秋季大祭)
【粥占祭は、当社に古くから伝わる伝統神事であり、2月15日に炊いた粥を鉢(文化2年造)に盛って神前に納め、3月15日に粥面に生えたカビの色合いと毛草によりその年の作物および風水病害の判断をするものである。
筑紫野市無形民俗文化財に認定されている。】 |
神紋・寺紋 |
隅立て四つ目
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更新情報 |
【
最終
更新者】新参者
【
最終
更新日時】2025/02/23 23:34:26
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