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基本情報
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住所 |
東京都練馬区高松3-19 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
都営大江戸線光が丘 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
国常立尊(くにとこたちのみこと) 大己貴尊(おおなむちのみこと) 少彦名尊(すくなひこなのみこと) の三神で、木曽御嶽神社の神々を勧請したもの。 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
社伝によると、江戸末期に上練馬村高松の小澤橋山(林蔵)によって創建されたという。橋山は初め下練馬村の内田真浄から神道の教義を学び、やがて近郷の村民に諮って御嶽山一山講社を結成した。[古来、基礎御嶽山への当廃には厳しい精進潔斎を必要とした。しかし天明・寛政を(1781-1801)頃、覚明と普寛は、軽い潔斎による庶民登拝の道を開いた。さらに天保(1830-44)になると、行者一山が江戸を中心に一山講社を組織し講の拡大に努め、練馬にも一山講が結成されるに至った。]明治11年(1878)橋山は御嶽神社を当地に遷した。二代目先達は実弟心嶽(文次郎)が継ぎ、現在で八代を数えている。「拝み」に唱えられる練馬一山講「御嶽山肝要集」は神道的なものと仏教的なものとが混合している。
境内石造物で古いのは、宝永3年(1706)の仁王像、文久2年(1862)の水盤であるが、ともに明治初年廃寺となった高松寺のものである。(高松寺の本尊薬師如来と阿弥陀如来は拝殿内に安置)。旧来当社にあった石造物では、慶応3年(1867)の不動明王箱型座像と明治14年(1881)の一山霊神三十三回忌碑が古い。社殿は昭和11年(1936)の改築で改築記念碑が建っている。昭和52年(1977)11月の宗教上人記念碑や多くの記念碑のほかに行場の井戸がある。
境内樹木の中に幹回り1mのモッコクがある。(「練馬の神社」より) |
神社・お寺情報 |
石造大山不動明王像 ・服部半蔵奉納の仁王像(練馬区指定文化財) 鳥居脇にある石造の仁王像二体は宝永三年(1706)伊賀衆の寄親服部半蔵の関係者とも推察される人物が高松寺に寄進したものです。 背面に「大垣氏服部半蔵尉幸隆」の銘が見えます。 伊賀衆は、幕末まで橋戸村(現在の大泉町)を給地としていました。当地は江戸屋敷(四谷伊賀町)と給地橋戸村との往還にあたっていました。 (練馬教育委員会 記) |
例祭日 |
9月15日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】Kyusei
【
最終
更新日時】2020/01/22 15:12:15
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