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★★★ 参拝日:2019年8月28日 09:15
はりまや橋の北側にご鎮座。 はりまや橋から歩いて10分弱です。 ご社殿は南向きですが、鳥居参道は東側。 駐車場も境内横東側です。 街中の境内ですので、広くはありませんがとても綺麗になさっておられ気持ちよくお詣りさせていただきました。 御朱印はこちらのお社含め、境内社の釣船神社と兼務社の掛川神社と松熊神社の4社いただけます。 社務所の外向きに掲示はありませんでしたが、たまたま社務所横の窓から社務所内の掲示が見えて知ることができました。 「参拝の方向けにもご案内があれば、皆さま喜ばれると思います」とお伝えさせていただきました。
参拝日:2021年2月20日 16:27
★★★ 参拝日:2020年11月14日 21:46
【公式HPより】 往古、大高坂氏が高知城(大高坂城)の守護神として石清水八幡宮から勧請し城内に鎮祭したと伝えられ、慶長年間山内氏入国以来土佐藩主直祭の社として、又、城下、高知街、北街、下知村の産土神(氏神)として尾土に遥拝殿を設けて氏子の祭祀を奉仕していたもので、明治三年遥拝殿を、明治四年高坂鎮座の本宮を現在地(山田町)に奉遷し県社となり以来、前記地域の氏神様として又文化産業開発、商業繁栄、交通安全、厄除等の守護神として広く崇拝されております。 御籤ひいたら、大吉で✨ 恋愛が「この人となら幸福に」って書いてあったから、 この人って誰だよ‼️‼️ って、とりあえず突っ込んで(笑) 結んできた🤣
★★★★★ 参拝日:2020年1月31日 11:16
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住所 | 高知県高知市はりまや町3丁目8-11 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | 土佐電桟橋線高知橋 徒歩1分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 088-882-1449 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://kouchihachimangu.web.fc2.com/ |
御祭神 | 品陀和気命(ほむだわけのみこと)
息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと) 多紀理比賣神(たぎりひめ) 市杵島比賣神(いちきしまひめ) 多岐都比賣神(たきつひめ) |
創建・建立 | 未詳 |
旧社格 | 県社 |
由来 | [本丸時代~西ノ口時代]
約700年前、南北朝の頃、高知市周辺の領主で南朝の忠臣 大高坂松王丸 が大高坂城(高知城)の守護神として京都石清水八幡宮から城内に勧請したと伝えられています。 慶長年間(400年前) 山内一豊公 が土佐に入国、高知城築城に際し、西ノ口御門内杉に社殿を建立し、本丸から遷座(この際、江州長浜の宇佐八幡宮を合祀)、以降、270年間この地に鎮座し、 城内城下鎮守の神 として崇敬されてきました。 特に藩主の崇敬篤く土佐藩主直祭社となるとともに、城下高知街、北町、下知村の産土神(氏神)として城外尾土(城のすぐ北側)に遥拝殿を設けて氏子の祭祀を奉仕して来ました。 旧藩時代(江戸時代)の当宮の祭礼は 高知祭 と称し盛大を極めた記録が多く残っております。 [戦前の時代~戦後の時代] 明治維新後、「氏子の中心地へ氏神様を迎えたい」との城下庶民の強い懇望により、明治3年尾土の遥拝殿を、同4年、城内鎮座の本宮を氏子の中心地である現在地に奉遷しました。 また神社は国家の宗祀として国の管理下に置かれる事となり、明治5年社格を定められるに当り郷社に列し、明治13年に豪壮な社殿を造営し、明治19年には県社に昇格しました。 当宮は、藩政時代は 高知御城内八幡宮 又 城内正八幡と称され、武士はもとより広く城下町民に崇敬されておりました。 明治以降正式には 県社八幡宮 と称し、一般には 山田町八幡さま と親しまれ高知城下中心地の氏神様として又、文化、産業の守護神、厄除け、開運、交通等の守護神として広く崇敬されてきました。 昭和21年には国の管理を離れ、宗教法人となり神社本庁に所属、昭和42年に 高知八幡宮 と改称しました。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 11月24日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】みつを 【 最終 更新日時】2019/06/01 16:41:28 |