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基本情報
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住所 |
埼玉県秩父市荒川日野武州日野駅南 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線武州日野 徒歩0分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
社頭掲示
記
秩父郡高篠村(現秩父市)小田二六三五番地え住今泉貞次氏は昭和十二年秩父夜祭りも過ぎし師走すの月中ば現役兵として支那事変に参加、激しい戦闘の中で幾多の武勲をたてしが終戦となり、昭和二十年八月、ソビエトに捕虜として抑留し苦しい生活に四年の歳月は流れたり。そして蝉時雨の降りそゝぐ葉月、祖国日本の土を踏んだ。時昭和二十四年八月であったとゆう。
今泉氏はあの戦場に於て授かりし救恩の御礼参り果さねばならぬと思いし村内外の稲荷神社を尋ねたりも思いあたる神社がさらになく、いつか月日はすぎさりし。そんなある日の昼さがり今泉氏は当所鍛冶師久保左門次氏宅を訪ねたり。「私は入隊せるも直に満洲に渡り各地の戦闘闘伐等転戦の後、ソビエト境にある張鼓峯の戦闘作戦に参加せるも激戦の中で塹壕に入りしかが不眠と疲れで夢幻にふけるもどこからともなく白髪老人現れ曰く「その場は最大の危険地也直に右方にうつるべし、我は秩父郷北向の稲荷であるぞよ」と申し消え去りたり。我に帰った私は夢中にて右方に走り寄りたり。その時その場に迫撃砲弾数十発が裂烈せり。私は九死に一生をえたりも故にその白髪老人こそ正しく稲荷大明神の化身であることを知らされました。因にその作戦に参加せる日本軍は一三七九名であり、死傷者は実に七三二名であったとゆう。多くの戦友を失いたるも私は神の御守護により無事生還する事が出きその御礼参りを果たすために稲荷神社を捜しております」と尋ねるも
久保佐門次氏は「それはこの前にある弟冨士山の麓に鎮座する風穴稲荷神社であろう」と申したり。
今泉氏は早速鳥居一基を奉納し御礼参りを果し以賴毎年の初午の日にには参拝をなされるに致れり。
茲に風穴稲荷神社と今泉氏の由緒を記し冀くば世界の平和と信神各位の家内安全、商売繁盛そして開運の光徳を顕受さるゝ事を乞い願い奉る。
昭和六十年二月初午之日 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2022/07/31 08:40:36
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