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住所 | 京都府京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | JR京都線京都 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0753517724 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | www.inabado.jp/ |
御本尊 | 薬師如来 |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建・建立 | 長保五年(1003) |
由来 | [ 京都・因幡堂平等寺縁起 ] 因幡堂縁起によれば、天徳三年( 959 )橘行平は、村上天皇の命で因幡国(現鳥取県)の一宮に赴いた。そこで神事を済ませ帰洛の途中、行平は急病になり平癒を神仏に祈り続けると、ある夜夢に異形の僧が現れこう告げました。 「因幡国賀留津の海中に一つの浮き木がある。その浮き木は衆生済度のために遠くの仏の国からやってきた。速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。そうすれば必ず病気は治る」 行平は正夢に違いないと思い、早速人々を集め海底を探らせたところ、お告げの通り一つの浮き木があった。そしてそれはよく見ると身の丈五尺余り( 165cm )の薬師如来の尊像でした。行平は喜んでこれを信心し、供養する草堂をこの浦に建て薬師如来像を祀りました。 これが「因州(鳥取県)高草郡大字菖蒲浦の座光寺(ざこうじ)」です。 その後、行平の病気は平癒し、無事に京に帰る事が出来ました。ところが帰京した行平にまたある夜、一人の異形な僧から夢告があります。 「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。あなたには宿縁があるから重ねて事を示す」 行平が夢から覚めると丁度、来客があると家人が呼びに来ました。行平が「どなたですか」と問うと「因州の僧だ」と返答がありました。行平は驚いて西の門を開けさせたところ、あの薬師如来の尊像が立っておられたのです。さっそく行平は五尺余りの尊像を碁盤の上にのせて安置しました。これが長保五年( 1003 ) 4 月 8 日のことでした。行平は屋敷を改造してお堂を作り、因幡堂と名付けた。 その後、この霊験譚は平安京の人々に広く親しまれ、一条天皇のお耳にも入り、天皇ご自身信心なされて、八ヶ所の子院を建立され、皇室の勅願所とされました。 源平争乱の時代、高倉天皇が因幡堂のすぐ南「東五条院」にお住まいになられた。因幡堂の正面真南の通り不明門を(あけず)と呼びますが、これは五条院の御所に遠慮して南門を開けなかったためです。 承安元年( 1171 )には、高倉天皇により「平等寺」と命名され、勅額を贈られました。 2003 年、京の都の人々に支えられ当山は一千年の節目を迎えることが出来ました。 ― 解説書「京都・因幡堂平等寺縁起」 より抜粋 ― |
神社・お寺情報 | 日本三如来 洛陽三十三所観音霊場第二十七番札所 ● 文化財(寺宝)、 ・薬師如来立像(重文) ・釈迦如来立像(重文) ・如意輪観音坐像(重文) その他 多数 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ふみにゃん 【 最終 更新日時】2018/12/03 08:05:31 |