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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県本庄市滝瀬1218 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線岡部 徒歩35分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0495-24-2717 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・伊邪諾命・伊邪冉命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
滝瀬神社 御由結
本庄市滝瀬一二一八
▢御縁起(歴史)
往昔、烏川と利根川が、当地付近を流れるときに激しい流れを見せていたことから、この辺りを「滝ノ瀬」と呼ぶようになったといわれ、平安末期から鎌倉時代にかけては、武蔵七党の一つ丹党の勢力圏にあり、丹党安保次郎実光の孫光直は、地頭職として当地に居住してより、地名の滝瀬を名乗っている。
『児玉郡誌』によると、当社は、嘉禎二年(一二三六)に、この滝瀬主水正光直とその子三郎兵衛尉経氏父子の発願により創建し、同氏の遠祖第二十八代宜化天皇を祀ったとある。
また、当社の別当を務めた天台宗滝瀬山正法院立岩寺も三郎兵衛尉経氏が、父の菩提追福のために建立したと伝えている。
南北朝時代(一三三三~九二)に、斎藤別当実盛の子孫斎藤実永の家臣永井某が、当社に妻沼大我井の森から、聖天宮の神霊を遷し、合祀の上滝瀬家の守護神とした。これより社号を聖天宮に改めたという。その後も滝瀬家代々の崇敬が厚く、寛正・文明のころ(一四六〇~八七)、滝瀬丹治郎実継が社殿を改築し、現在の社殿は宝暦九年(一七五九)に再建したものである。
神仏分離後、社号を二柱神社、祭神を伊邪諾命・伊邪冉命に改め、明治五年四月の村社列格と同時に、地域の総鎮守にふさわしいようにと、村名から滝瀬神社と改称した。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
・歳旦祭(一月一日) ・春季社日祭(三月社日) ・祈年祭(四月七日) ・諏訪祭(七月二十七日) ・夏越大祓(七月三十日) ・秋季社日祭(九月社日) ・例大祭(十月十七日) ・新嘗祭(十一月二十三日) ・年越大祓(十二月三十日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/01/17 16:48:16
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