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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 静岡県熱海市伊豆山鳴沢1135-77 |
五畿八道 令制国 |
東海道 伊豆 |
アクセス | 東海道新幹線熱海 徒歩25分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0557-80-0738 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.koakannon.org/ |
御本尊 | 興亜観音 |
宗派 | 独立 |
創建・建立 | 昭和15年2月24日(1940年) |
由来 | 1937年(昭和12年)7月に勃発した支那事変における上海派遣軍司令官であった松井石根陸軍大将が、退役後の1940年(昭和15年)、日支両軍の戦没将兵を「怨親平等」に祀るため、私財を投じてこの地に聖観音を建立した。観音像は松井石根が転戦した南京周辺地等の戦場の土を材料として作られた。同年2月24日には芝増上寺大島徹水僧正(浄土宗)他朝野の名士を集めて開眼式が行われた。なお松井大将はこの近くに庵を建てて住み、毎朝御山に登り観音経をあげていた。現在の興亜観音は、上記の支那事変全戦没者の他、特に所謂「A級戦犯」として処刑された七名の遺骨が埋葬されていることで知られている。その訳は次のとおりである。1948年(昭和23年)12月23日(明仁上皇、当時皇太子の誕生日)、極東国際軍事裁判(東京裁判)においていわゆるA級戦犯として処刑された松井石根、東條英機等七人は、横浜の久保山火葬場で荼毘に付された。遺骨灰の殆どは米軍が処理したが、この遺骨を回収しようと考えていた小磯国昭の弁護人三文字正平は、面識のあった興禅寺住職の市川伊雄に相談した。同年12月26日深夜、市川伊雄住職と飛田善美火葬場長らは、密かに骨壺一杯分を集め、翌年5月3日、松井大将ゆかりの興亜観音に持ち込んだ。当時の住職、伊丹忍礼師(法華宗陣門流、僧正)は即座に七人の遺骨灰と直感し、時期が来るまでとこれを匿い、ようやく1959年(昭和34年)4月19日、吉田茂元首相筆による「七士之碑」が建てられ、遺骨灰はこの下に埋葬された。なお愛知県幡豆郡(現西尾市)三ヶ根山にある「殉国七士墓」は、1960年(昭和35年)に興亜観音の七士遺骨から香盒一ヶ分を分骨して埋葬したものである。現在はA級戦犯の刑死者7柱に加え、BC級戦犯の刑死者901柱、収容中に病死・自決・事故死・死因不明等で亡くなったABC級戦犯160柱を合わせた1,068柱の供養碑(大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑)、大東亜戦争戦没戦士菩提(昭和19年)も建立されて同戦争の全戦没者を祀り、「小さな靖国神社」とも喩えられている。
平成10年より、伊丹靖明(旧称早川靖彦。「興亜観音を守る会」と契約し、興亜観音の境内整備工事を請け負っていた建築会社社長)が忍礼師長女前住職妙徳尼の養子となり寺務運営をしている。現在は妙徳の妹妙浄が靖明の補佐を得て、住職を務めている。興亜観音にはお墓や檀家と云うものが無く、広く一般からの支援に頼っている。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 1月2日:年初祈願会 4月8日:花祭り 5月18日:例大祭 8月15日:戦没者慰霊法要 12月23日:慰霊法要 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2023/10/04 02:05:35 |